FC2ブログ

第二回石井僚一短歌賞

第二回石井僚一短歌賞に応募した15首連作の作品が最終候補に残りました。

タイトルは『とんでけHEAVEN』。
《HEAVEN》は全角なのですが、只今絶賛パソコン崩壊中でございまして、半角による記入となっており失礼致します。

『とんでけHEAVEN』、SPEADの曲にあるそうですかね?
ゴーゴーヘヴン!
的な。

それはともかく、
この連作が最終選考に残ったことはとてつもなくうれしく、特に石井僚一さんが推してくれたことが、わたくしをたいへんしあわせな気持ちにさせてくれました。

選考委員の皆様、ありがとうございます。

この連作は『稀風社の貢献』に掲載されております。
もし機会がございましたら御一読くださいませ。


スポンサーサイト

今日にさようならすること


「人生という投資に失敗したあなたに投資のことを強弁されてもねえ。パンティー、どう思う?」
パンティー「なにも」

もしも≪あした≫に名を付け得るならば
僕ならばこうニックネーミングするだろう
≪今日にさようならすること≫

突然の暴風
突然の別れ
突然の殺人
突然の事故
なんでも突然の事象はびっくりしちゃうから
みなさん!
前もってお知らせしていただければ
うれしいっすね

ドッピュッピュ
ドピュッ
ドピュッ
ドピューピュー

そのような間抜けなホーンセクション的な感じで
悪意の精液を乱れ飛ばすことができたなら
僕は生存中A級アーティストと呼ばれることになるだろう

牛丼屋のやる気ゼロ店員が
なんてこと!
僕の目の前で
つまり僕の席のカウンター越しに
味噌汁の中身を
つまり
ほぼ液体的な事象を
ざっばーんっっと
僕の方角へとぶっかけたのだ
バッグ
ズボン
湿り気の最高潮
生きていくことに辛さを感じている
この僕の「今日この頃」が
呻吟しそうであるが……

味噌汁ぶっかけ店員にクリーニング代を請求できない
そんな僕の気弱さが
痛々しくも僕の背の影に隠れておるのだが
それよりもなによりも
黙ってクリーニング代を差し出すことのできない
牛丼屋の店員の
飄々とした立ち居振る舞いが
ジョジョの奇妙な冒険のスタンドのように
僕の顔面に急接近しているのだ


リア充爆発


すべての優雅な安穏エリートお気楽サボリ野郎どもへ
呪詛を聴け

常に余裕をかましてわざとらしくお気楽な仕事ばかりを椅子取り合戦よろしく先に手を付けて腹黒い笑顔のままのあんたはぼけなすびの骨頂なのだが一時的にハードな仕事に邂逅したからといってとてつもなく愚痴っぽく「オツカレ」てるんじゃねーよぼけなすび

ぼけなすびあんたの笑いが消えてるから再度汚く笑え

この世には俺みたいなマイノリティであっても仁徳者を信じて待ってるだけじゃなくアヌスが痒くなろうがアヌス付近がじめじめしてこようが血眼&パラライズ状態であろうが駅のホームに立って突進してくる急行電車と目を合わすだけで強烈な眩暈を起こすくらいまで日々の仕事に全神経をブチ込むことの美しさがあることを知ってるんだぜ


ぼけなすびなリア充よ

いつになったら爆発するんだい

あんたらの笑いは美しくない

ALL人生やばいことになるぜ

最終的にはな

それに気づいたときはもう寿命が近い

自ら爆発する勇気はあるかい?

ないなら俺の世界から笑いながら立ち去ってくれ

手は振ってやる

もぎ取れんばかりにな

愛のようなもの(自伝的極私的つぶやき)

わたくしの生れた1973年は物質的には悲惨な情勢の国だった。

石油ショックである。

記憶の能力が成立していく年齢に達し、世界を世界のままに素朴に感知する時期、つまり成長ぐんぐん伸びやかなる幼い時期、時代は「勝手にしやがれ」、「勝手にシンドバッド」、「なめんなよ」的に良好になっていった。

「燃え上がれ燃え上がれガンダム」とリコーダーで吹きながら、セーラー服と機関銃を意味も知らずにエレクトーンで弾いていた。

そして、中曽根内閣時代のあの安穏な時代が『こどもじだい』の象徴であった。

プラモデルをのんきに飾っていればよかったのだ。

初恋の芽生えと枯死、そして後に就職超氷河期が待っているともしらず、自尊心や虚栄心は経済的バブルにも似て、崩壊まで心置きなく膨れ上がったが、思春期のあの伸びやかな時代と同調していたバブルは、わたくしの知らぬ間に崩壊していたのだ。

1990年、わたしは高校生であった。

モノやコトが溢れていたような気もする。

安い小遣いに満足できずに、親の金を財布から時折抜き取ってはCDばかり買っていたのだった。

バブル崩壊後、1995年は印象的かつ全般的に悲愴であった。

大学を中退しようとしていたころ、大学に行った振りをして、ただ電車で実家と東京までの面倒な距離を往復するだけの毎日(当時は湘南新宿ラインもなく、横浜のはずれから早稲田駅まで通うのは大変難儀であり、苦痛であったのだ)の中、晩飯時の茶の間のテレビ(まだブラウン管の時代だ)で、『新世紀エヴァンゲリオン』を放送していた。

わたしはそれに釘付けになった。

わたしを代弁していると思った。

これは作り手の私小説のようで、わたしはその作り手にシンクロできたのである。

泣けるほどにうれしい同調であったのを今でもありありと覚えている。

オウム真理教くそくらえ、と思い、あらゆる宗教、あらゆる哲学に欺瞞の目を向けることになった。

その時点で既に宗教、哲学、現代思想の限界に少し呆れていたのかもしれないが、唯一熱中できた詩との出逢いをプラスに捉えたとしても、大学時代とは人生最大の闇の時空であった。

空間的にも孤絶を余儀なくされていた。

わたしが座る席だけ別次元の、平行宇宙のとある教室にあるかのようだった。

1995年、わたしはもはや早稲田詩人会の部室へ行き、ノートの書き込みに苦笑いやためいきや興奮を覚えることもなくなっていたし、人づてに部室棟が壊されるという話を聞いたとき、まったくの無感動・無関心、むしろ苦痛であった。

思春期の頃の両親は共にとても厳格かつ威圧的であった。

早稲田詩人会の佐藤くん(なぜか彼はいつもバンダナを巻いてた)に「俺はぜったいサラリーマンになんかなりたくない、父親と同じ仕事などしたくない」と、うそぶいたのだが、今、中年になってみて若き頃合いにサラリーマンになっておけば後々どんな楽になれるか、思い知らされているところだ。

しかし、そのような不埒な選択をしたことで、出逢えた愛もあったのだ。

わたしはそれを愛のようなものと呼びたい。

なぜならその愛のようなものは後に破綻してしまうからだ。

そしてそれについては語りたくないことである。

はじめての愛のようなものに辿り着くまでの、これは自伝的つぶやきに過ぎない。




すべてのタナトフォビアの方々へ

認識を変えるだけでもタナトフォビアからほぼ救われる。
わたくしは完全ではないが、わたくしの思想によって、ほぼ救われた。

認識を変え得るちからをもつ文芸作品をブログやnoteに発表したいと思っている。
紙の本というかたちにするかどうかは反響次第で決めてもいいし、元よりわたくしは無名の創作者。
お金を頂くレベルではないことを重々承知している。

だが、この作品を残すべき使命に駆られているので、ほんの少し期待してみてください。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

安西大樹(あんざいまさき)

Author:安西大樹(あんざいまさき)

ポチッとクリックお願いしますっ!

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR