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その短歌、誰のモノ



言語には積極的辞項のない差異しかない、とソシュールは言った。
では、短歌という三十一文字も差異の戯れ、すなわち永遠に動的な痕跡だとしたら、その短歌の生産者、産みの親を規定することはできないのかもしれない。
短歌とは誰のものでもないもの、すなわち同時に誰のものでもある言語かもしれないのだ。
所有権無き短歌、所有権無きポエジーということも人間的レベルの知性においては成り立つかもしれないのである。


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