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イエス・キリスト


キリスト教いや、パウロ教は人心掌握ツールとして為政者に都合よく機能した。

そして、それこそがキリストを永遠に残存させるための手段だということをパウロも心得ていたのだろう。

奴隷は奴隷のままに、生かさず殺さず飼い慣らすために、弱者のルサンチマンに訴えかけた、というわけだ。

小さくされたものは小さいままでいいのだ、置かれた場所で咲けばよい、望むな、欲張るな、もうすでに神の愛は、キリストによって担保されている。

キリストは、死が目前に迫り、もはや免れえないと確信に至ったそのとき、ただでは死なぬ、永遠におれの生き様、いや死に様を呪われし地球に残してやるのだ、と思ったのかもしれない。すべてのひとの罪を背負い、その罪を浄化するために命を捧げる、と宣言することで、つまりそうなることによってしかメシアとなることができないのだと、わかっていたのだ。

すべては演技、お膳立て、過度のレトリックかもしれないのである。

唯一、わたくしが評価し、尊崇という意味においてふるえるのは、それを実行した覚悟である。

そしてパウロはよくぞその隠された認識をうまく体系化したと思う。

暗黙の了解どころではない、その符牒の呪わしさこそが、奇跡と呼べるのではないだろうか。




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