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遠慮と搾取もしくは父殺しについての試論


遠慮ばかりして生きてきた。

それが美徳とおもっていた。

それがマナー、家族という政治学においては、それこそが無難なテクニックだと。

遠慮することに慣れ過ぎて、おとなになって搾取されることが多かった。

いや、すべての自分の仕事は搾取されるためにあったのだ。

遠慮することで搾取されるような人間になってしまった。

青年、中年、老後まで搾取され続けるのだろうか。

父性に対する遠慮。

だがしかし、父親も搾取される人間であったのは間違いがない。

資本主義とはそういうものだ。

逃走したとしても蓄積されるのは、その遠慮深さに対する無意味な信仰だけだ。

遠慮することをやめてみようか、とおもう。

遠慮することをやめられるのだろうか。

今、父親はたばこをやめられないことに涙している。

毒親の涙、これほど痛ましいものがあろうか。

自らの分身であるような人間を湿らすことのない涙

俺は父親になりたくはないしなれもしない

俺は二〇一八年、四十五歳になった

四十五歳の人間が父を詩の中で消そうとしている

あとは詩に任せよう

ふたりで海へ来た

父と俺の視線ははるか沖合いでようやく接線を得る

唇を引き裂くような沈黙が時の波打ち際の父の影を踏みにじる

やがて海が消えるように父が消える

父という貝殻残し



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